仕事バックれた Nothing is

幸か不幸か社会不適合者増加

コミュ障メンヘラぼっちの大学生活

こんにちは。さいとうです。今日はコミュ障で友達もいないぼっちがどう大学一年の春を過ごしていたか、その一例を紹介したいと思います。

 

大学一年の前期。バラ色のキャンパスライフを夢見るエネルギッシュな一年生。

元来私はこういうノリに乗るのがダサいと思ってしまうタチ(集合写真でみんなが笑顔で同じポーズをとっているときに、ポーズを取らずに真顔で映っているキモいやつって絶対クラスに一人はいるじゃないですか、あれが僕です。)なのでサークルの新歓にも行かず、サークルのビラの代わりに精神科に行って発達障害と鬱の診断書をもらったりしてました。やめときゃいいのにw

 

大学一年の4月ってやたら暇なんですよ。授業がまだ始まらない科目とかもあったりするので。まあ本当だったらサークル見学やら友達作りやらで暇な筈がないんですけど、僕は暇でした。そういうのやってないんで。

 

当然友達もできないんで、休み時間や空きコマは一人です。放課後も一人です。家から大学は往復3時間以上です。大学は週6です。大学って楽しいし高校より楽らしいね。おまけに金もないんで、昼ごはんは生協で売ってる80円のパンだけだし、それも買えない日もよくありました。時間が合わなくてバイトもできないしね。だから財布はスカスカだし、100円硬貨すら貴重だったのです。貨幣制を憎むあまり、紙幣は「紙」、100円玉は「銀色の金属片」といった風に呼ぶようになりました。僕が持っていたのは主に茶色い金属でしたけどね。お金ではだいぶ苦労しました。

 

そんなかんじで家と大学を往復して1日が終わる虚無な日々を過ごしていました。1日3回くらいしか声を発さない生活(帰りが遅いから家に帰っても家族が寝ている)になり、日本語が外国語に聞こえるようになりました。これはなに?

 

おまけにADHDだから時間とか提出物の管理にも大変苦労した。大学で友達がいないのって結構ディスアドバンテージで、試験の情報とか課題の相談とかが全くできない。ADHDを持っていてぼっちなら相当頑張らないと良いGPAを取るのは難しい。僕がバカにしていたような典型的大学生の方が要領よくいい成績を取る、という厳しい現実を痛感させられることとなる。

 

まあここまで散々愚痴みたいになってしまったわけですが、僕が本当に言いたいのはそういうことじゃない。だって上記のことの原因って全て僕にあるわけだし、僕よりも恵まれない人だってごまんといる。それに、いつまでもため息をついて首を横に振っていても始まらない。

 

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」どんな生活にも一縷の希望は存在する。聖書にもあるように、「人はパンだけで生きるのではない。」どんなに現実が辛くて、長く冷たい雨が降り続いても、雲間から差す暖かい日の光を感じることができる限り、人は何度でも立ち上がることができると僕は信じている。それほどに人の生命力は強い。

 

何度かふと電車に飛び込みそうにはなったけれど、それでも僕をこの世界に引き止めてくれたのは文学と音楽だった。

 

授業の空きコマや放課後、よく図書館に本を持ちこんで読んだ。僕は集中するのが苦手だから、周りに人がいても気になって集中できないし、自分の部屋でも集中できない。だからわざわざ大学の人がいない場所を探してそこで読んだ。

それでその時よく使ったのが、人のほとんどいない図書館の研究書庫。本がたくさんあって、なにかの機械の排気音と僕の呼吸の音しか聞こえないような地下室だった。ここには時計もなかったから、よく時を忘れて純粋な読書の時間を楽しんだ。とはいえ、本を読むのが僕は苦手だから、小説を3時間で20ページくらいしか読めなかったけど。実のところ、僕はここの雰囲気が好きだった。

また行きたいと思うし、ここは僕の人生にとって大事な場所の一つになるような気がしている。

何か辛いことがあっても、こういう何度も何度も立ち帰りたい場所があるのはいいことだと思う。そういう場所を、これからの人生でもっともっと増やしていきたい、そう思っている。

 

音楽について僕から改めて語るようなことはないが(実際僕は一つも楽器を弾けないし、音楽の成績もずっと悪かったのだ)、文学も、音楽も、僕が僕であって僕でない時間を提供してくれるという点で、この時期の僕にとっては大きな心の支えとなっていたのだった。

 

 

こういう具合に、僕の大学一年前期は過ぎ去っていった。