廃人の就活ログ
社会的意義0の記事なので実質ネットの海への不法投棄みたいなもんですが
後から見返してエモい気分になりたいので就活振り返り記事書きます。
・簡単な自己紹介をお願いします。
一浪Fラン私立中退
ノンゼミ
低GPA
ノンサー
バイト経験最長3日(当時)
ガクチカ無振り
ADHDぶっぱ
自分でも大学行ったか行ってないかわからないレベル。
留年の当落線上を反復横跳びしていました(今も)。
・志望業界は?
IT業界一本でした。
そこらへんの経緯は過去の記事でも触れているかもしれませんが、
まず前提として週5で朝起きるとか絶対無理だなと思ってたのでいずれフリーランスになるつもりでいました。
あと、ロン毛にしたかった。
それで「独立のしやすさってなるとIT系かなー、まあ将来性もあるだろ」って感じでITにしました。
あと大学での専門性みたいなものが悲しいほどなかったので、仕事は専門職っぽいものがいいかなと思ってたのもある。
職種としてはシステムエンジニアと呼ばれるものを目指していた。
あと案件としては金融系に関わりたかった。
・大学三年の春
そもそも就活どころじゃなくて大学やめようとしてた。
・大学三年の夏
夏インターンの時は怖くて一社も申し込んでない。
てかこの時まだ就活するつもりもなかったと思う。
新卒フリーランス的な空想をしていた。
結果いつも通り何の実りもない夏休みを過ごした。何やってたかマジで覚えてない。
・就活開始 2020年11月中旬
現実を見た結果、「俺みたいな凡人は就活しといたほうがいいし、それで失敗したらフリーランスとか考えればいいんじゃないか」っていう至極尋常な考えを得た。
要するに「逃げちゃダメだ」と気が付いた。
とはいえ急にメンタルが強くなるはずもなかった。
選考なしかつ対面でのインターンに絞っていたため2社しか見つからなかった。
選考なしの理由:就活で落とされる=人格とそれまでの人生の否定
という等式が自分の中であったので落とされるのが嫌すぎた。
対面の理由:コロナでインターンのほとんどがオンライン開催だったが、実家暮らしで子供部屋すらないおじさんだったため家族に見守られながらインターン参加っていうのが嫌すぎた。
見事に二つとも後ろ向きな理由だよね。
でも一応2つは参加したからエライ。
インターンの内容はお察し。
1社目は謎のカードゲームやったな。
あと2社目のやつ参加者が全員コミュ障だったうえにコロナ対策で机がめっちゃ遠くてグループワーク成り立たなかった。
で結果的に俺が発表することになったけど声震えまくった記憶がある。
・同年12月
クリスマスイブにSPI受験をしていた。
初めてインターンに参加したとこの早期選考だった。ちなみに落ちた。
クリスマス当日はコンビニバイトだった上にサンタ帽被らされるという辱めを受けたため終活について考えた。
・2021年1月
やはり俺はコンビニのレジに突っ立っていた。
この月は大学の期末とバイトと就活があったので結構忙しかった気がする。
でもやらなきゃやらなきゃで先延ばしにして勝手に病んでたってだけで別に忙しくなかったと思う。自分的にはきつかった。
この月にESを書き始めた。が、ES書くのももめちゃくちゃ嫌だった。
苦手に思っていた適性検査の勉強も結局していなかった。
もう何ができんだよお前
・同年2月
適性検査と面接を何回かやった気がする。
自己分析も全然していなかったのでES書けてないし面接対策もしてなかったし適性検査も全然できなかった。
多分読んでる人からしたらすごいイライラすると思う。
でも実際何もできていなかった。何やってんだお前って思われてもそれが現実だった。
そして俺は就活を辞めた。
・同年3月
もうまったく就活イベントに申し込んでなかったしES書くとかも一切してなかった。
この時点で2社選考が進んでたのでそこだけ続けてどっちもダメだったら大学院でも行くか(いけないけど)っていうヤケクソ状態に陥っていた。
面接受け終わって連絡が来るまでの間は考えることが辛かったのでひたすら寝て過ごした。
そして内定が出た。
・まとめ
何がよかったとか何が悪かったとかは全然わからない。
しいて言えば全部悪かったが、内定が出たから一応はよかったともいえる。
この経験からいえること、みたいなのがあったらいいと思うけど
自分が人にアドバイスできる立場なわけがないので何も言えない。
だから解釈は抜きにしてこの経験をできるだけ生の状態で提示してみようと思った。
どう思うかは読んだ人に任せる。
就活は明確な終わりが見えないから苦しい。でも終わるのは一瞬で、振り返ってみると結局これはなんだったんだろうという不思議な感覚になる。
解釈はしないとさっき書いたけど、
自分から一つだけ言えることがあるとしたら、とにかく生き残ること。